vol.131
ひなあられの謎
 3月の行事として、大多数の人がすぐ頭に浮かぶのは、
3月3日の女の子が美しく成長し、末永く幸せになれるように祈り
祝う「ひな祭り」ではないでしょうか?
 お雛様を飾り、甘酒、ちらし寿司、貞節のしるしとされる
蛤の吸物、それにひなあられ、桜餅などを頂き祝う日です。
 最近では、しっかり用意してひな祭りを行う家庭は少ないかもしれないですが、
ひなあられくらいは、誰もが口にした事はあると思います。
 そんなひなあられが、関東と関西では全く違うってご存知ですか?
関東では、米粒大でさくっと甘く、米を爆ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたものです。
 「日頃からお釜に残ったご飯粒を干して保存しておき、その干し飯をあぶって作った」
「米をじかに炒って作る爆米(はぜ)という菓子が江戸ではやっており、
それを『ひなあられ』と命名したから」と言われています。
 一方我が関西では、直径1センチ程度の大きさで、しょう油や塩味など色々な味付けで、
餅からできており、いわゆる普段食べるあられです。関西育ちの方が、関東でひなあられを食べると
その味と形のあまりの違いに、軽いカルチャーショックを受けるそうです
(反対の場合もでしょうけど)。
 もともと雛祭りにかかせない菱餅を砕いて炒ったのが始まりとされています。そもそもひなあられのルーツは、その昔、野外でひな遊びを楽しむときに持って行くためのお菓子です。
雛祭りは様々な変遷を経て今の形になりましたが、いつの時も女の子たちが雛人形を持って野原、
川辺、磯へ出掛けてお雛様に春の景色をみせてあげる風習があり、その時に春のご馳走とともに
ひなあられを持っていったのです。菱餅を外で食べるために砕いて作った、という説もあります。 
どちらが元祖なのか?と言われると、元々ひな遊びというものは平安時代の宮中や貴族たちから
始まったものなので京都発祥、すなわち関西風かなと思われますが、広辞苑や辞書などには、
ひなあられ=米菓子、関東風とされていてどちらとも言えない状態です。

 昔に比べると消費者の好みや流通・情報の発達により、
両方を売っている場合も多く、関東風・関西風の垣根が
どんどん低くなっているとも言われています。
 今年のひな祭りは、どちらの味も揃えてみて、
ひと味違った祝い方をしてみてはいかがでしょうか。
松本 英夫

桃の節句
 ひな祭りの3月3日のことを「桃の節句」ともいいます。
もともとは上巳(じょうし)の節句といわれていましたが、旧暦の3月3日頃が
桃の花の咲く時期に当たるため「桃の節句」ともいわれるようになり、
こちらのほうが広まっていったようです。この桃の節句には古くは桃の花を愛でたり
桃の花を浮かべた酒を飲んだりして楽しみ、桃の葉を入れたお風呂に入って
無病息災を願っていたようです。

 男性の僕にはあまり縁のない日で、せいぜい甘酒が飲めるという日でした。
ところが、実はこどもの日である「端午の節句」と「上巳の節句」(桃の節句)は、
もともと男女の区別がなかったのです。ご存知だったでしょうか?
中国伝来思想として、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。
これが、平安時代の日本で紙の人形を川や海に流して不浄を祓う「流し雛」になりました。
室町時代には、豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになり、その行事が宮中から武家社会、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。

江戸時代頃から豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、
逆に端午の節句には菖蒲(しょうぶ)を飾ったり、
菖蒲湯に入ったりすることから勝負に通じて武士の男の子のお祝いとなっていったようです。
もう、雛人形を飾られている家庭も多いと思いますが、
お子様がかわいいからといつまでも飾らないように。
将来、嫌われてしまうかもしれませんよ(笑)

松鹿 大平

最近ハムスター飼いました!
2月半ばにゴールデンハムスターのブラックを飼いました。
最近ブームらしく店頭には種類が多かったのですが、みんなと同じのは嫌だったので
何軒かペットショップをまわっていると真っ黒でお腹の所が白いゴールデンハムスターが目に入り一見小さい熊のように見え、とても可愛らしかったのでキープしてもらって
彼女に聞いてみたらOKが出たので即飼いに行きました。

名前は姿から「黒ごまプリン」と考えましたが呼びにくいので短く「ごま」に決めました。
真っ黒なので「スミ夫」と友達には言われています。
 前からハムスターをみて飼ってみたいと考えていたのでこれからが楽しみです。

 しかし、飼うからには寿命まで飼いたいのですがあまり知識が無かったので、 色々勉強して飼育方法を覚えていくと
結構楽しくて今では夢中になりつつあります。
 どうして良いのかわからなかったのが2日目からアレルギーになったことです。目から涙流していましたが目薬さして
1週間ぐらいで治りました。
始めから体調に変化があるとものすごく不安になります。
 いま悩まされている事は、ハムスターは夜行性で私が寝ている時に活発に動き出すので最近夜中に起こされてしまう事と、トイレの砂を散らかされるので掃除が大変です。
きっと、そのうち慣れてくれるはずです。

藤居 宗一郎

蛍の光
3月といえば思いつくのが、卒業式でしょうか?
慣れて親しんできた学舎にさようならをして、新しい環境にチャレンジしていく、
恩師や友との別れに涙し、声を震わしながら一生懸命、合唱したような記憶が残っています。
最近の卒業の歌は、
   ゆず・栄光の架け橋   
   Kiroro・未来へBest friend
   スピッツ・空も飛べるはず 
   森山直太郎・桜   
   コブクロ・桜    など
を合唱するそうです。

 わたしの頃は、「蛍の光」か「仰げば尊し」でした。
「蛍の光」が実は第4章まであるって皆さん知ってましたか
「蛍の光」は日本の代表的な歌だと思ってきましたが、実は「スッコトランドの民謡」から、
明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するにあたって、
稲垣千頴が作詞した現代風の歌詞が採用され、「蛍の光」となったそうです。
 その頃は、4番まで歌われたそうですが、それから何回か変更された後、
戦後、「蛍の光」は2番までしか歌われなくなったそうです。
 紅白歌合戦や、パチンコの閉店時、 阪神ファンが試合中、相手チームの投手が途中降板する際、
応援団の指揮でファンが1番のみ、ペンライトの代わりに応援バットを左右に振って厳かに合唱し、
すぐさまテンションを上げ六甲おろしを大合唱するなど、切ない場面だけでなく色んなところで、
日本の時代と共に、歌われてきた「蛍の光」は、また歌い継がれていくんでしょうね。

大村 朋子