vol.162


日本最初の運動会
 厳しい暑さも大分なくなり、やっと遅めの秋がやってきました。 秋といえば、「運動会」のシーズンです。ということで、「日本での運動会とはいつから始まったのか?」「どんな競技があったのか?」と気になったので調べてみました。
日本で「運動会」らしき行事が行われた最初の例は、1974年(明治7年)のことであると言われています。

その運動会発祥の地はどこかというと、東京は築地で行われた「競闘遊戯(きょうとうゆうぎ)」がそれだと考えられます。残念ながら時期は3月と言うことですからその頃はスポーツの秋で運動会と都合よくは、いきませんでした。 さて、この競闘遊戯ですが、競い闘うばかりではなくて、「遊戯」とあるとおり、娯楽的な要素の競技も大分混ざっていたようです。

現在の運動会にも、徒競走のような純粋なスポーツとしての競技の他に、借り物競走や二人三脚といった娯楽的な要素の強い競技が混ざっているのは、この元祖運動会からの伝統なのでしょうか?
この競闘遊戯ではどんな競技が行われたのかというと、三段跳びだとか、200ヤード競争、綱引き、肩車競争などが行われたようです。まあ、この辺りは、「まともな競争」ですが、変わった競技として目を引くのが、「豚追い競争」文字通り、子豚を追いかける競技です。追いかけられるのはただの子豚ではなくて、体中に油を塗った子豚だったようです。
 これを学生たちが追いかけるわけですが、捕まえたと思っても油を塗った子豚なので、つるりと腕を滑り抜けてまた逃げるという具合で、その追いかけっこの様子に見物の人々から、やんやの声援が送られただろうことが想像出来ます。
現代の運動会に、この競技が無いのは残念でなりません。このような楽しく面白く、みんなが和気あいあいとなれる競技も是非、競技の一つに加えてほしいものです。
松岡 裕介


日本人が電車で居眠りをする理由

 先日、久しぶりに電車に乗りました。ふと気付くと居眠りをしている人を多く見かけました。過去に私も居眠りをしていまい降りる駅を乗り過ごしてしまった経験があります。なぜ電車で居眠りをしてしまうのか調べてみました。
 意外なことに世界広しといえど、日本人ほど電車でよく眠る民族はいないとのことです。それほど治安が良い証拠だということでしょうけど、理由を調べてみた。その理由については二説あるそうです。

 まずは、日本人の肉体に原因があるという説 日本人の腸は外国人より長いため、消化の際、血液が腸に集中する時間が長くその間は頭に血が回らなくなります。こうなると、当然、眠くなってきます。
しかも、電車の振動や単調な音は、眠りを誘導する働きがあるようで、日本人は電車の中で居眠りをするのだそうです。

 次は、日本人の性格に原因があるという説日本人はもともと生真面目な性格の為、仕事や勉強に対して熱中しやすく、それだけに普段から脳の疲労度が高いのです。だから、電車に乗ると、脳は、意図的に仕事をしない時間は少しでも休もうとします。つまり、空いている座席を見つけて座ってすぐ眠れるのは、一種の条件反射です。
 どちらの説ももっともですが、もっと単純に、最初に私が感じたように「日本は治安がいいから堂々と眠れる」とする説もないわけではないでしょう。


藤居 宗一郎

へそのごまは取ったらダメ?
 この夏、久々に水着に着替えてみたら、意外と汚い自分のへそに気がついてがく然…。
というか赤面。そこで周囲の人のへそをチェックしてみると、意外と皆さん、汚れたまま放置してらっしゃるご様子でした。
 もちろんお風呂にはちゃんと入っているのですが、意識的にへそだけをゴシゴシやることはありません。それに、子どものころにへそのゴマを取るとお腹が痛くなると教えられてきたのでむやみに触ってはダメなのでは?と思っていました。
 実は、その教えはまったくの迷信でした。へそのゴマというのは単なる垢なので、ほうっておくと悪臭の元になりますし、下手をすれば悪い菌に感染する原因にだってなりかねません。へそを清潔を保つに越したことはないようです!
 へそのゴマは、百害あって一利なし! それなら安心して、さっそくお掃除しましょう。
ただし、へその部分は皮下脂肪が薄く、他の部位と比べて内臓との距離が近いので、洗う際は慎重にしたほうがいいようです。タオルでゴシゴシやるのではなく、オリーブオイルや乳液などを塗布した綿棒で、やさしく拭き取るのがベストのようです。
 なお解剖学的には、へそを無闇に触ると腹膜に刺激を与え、それが腹膜の炎症につながるとの考え方もあるようですが、一方で「実際にそういう患者を見かけることは、まずありません」とあるお医者さんはいっておられるのでまぁ一安心です。
 いずれにせよ、単なる垢であるゴマそのものには、我々の身を守る機能はありません。へその手入れを怠らず、隅々まで清潔になって堂々と水着を着ようではありませんか!
大村 朋子

地図帳にある存在しない道

 地図帳には「現実には存在しない余計な道」があるそうです。
そもそも、地図って誰が作ってもだいたい同じようになりますよね。
 というのも、地図という性質上、同じにならないとおかしいわけで、それはある意味、当たり前といったら当たり前のことかもしれません。

いくら地図を一生懸命に作っても、だいたいみんな同じになる…。つまり、販売者側からいえば、それをコピーして販売しても、決してばれないということになりますよね。
 そうすると、頑張って費用をかけても、結局コピーされてしまったらどうにもならないし、だからといって、そういう業者を捕まえて、「うちのやつをコピーしただろ!」といっても「いや、正確に作っただけだけど?」といわれてしまえばどうしようもないということになります。
 という訳で、「うちのをコピーしただろう!」というために、わざわざ目立たないところに現実には存在しない余計な道を描いておくそうです。
 暇を持てあましている時にでも、こういった不思議な道を地図帳で探してみると意外に良い暇つぶしになると思いますよ。
山本 拓也